【東洋医学】いのち(7)

こんにちは、わしだです。

「東洋医学とは何か?」をまとめています。

前回、いのち(6)の続きです。

今回は、東洋医学において、人の生命がどのように理解されているのか、をみていきます。

そのひとつとして、とても重要な見方である五行思想、その五行という見方でどのように人を見ているのか、

その中身についてみていきます。

なお、このブログは専門家向けではなく、東洋医学に興味を持たれた方に向けて書いていますので、

なるべく専門的な用語を使わずに、わかりやすい解説を目指しています。

ただ、東洋医学用語は、日本文化にも通ずる大事な「言葉」ですので、

どうしても必要な場合は東洋医学用語の解説も含めて使っていきます。

ちなみに、用語は都度参照できるように、今後、別投稿でまとめていきたいと思っています。

さて、五行とは、自然界を構成する5つの要素、五本柱のことでした。

そして、人にもその五本柱が備わっています。

五本柱とは、木・火・土・金・水、です。

まず、人の生命をみていく前に、

東洋思想ではこの五本柱がどのようにイメージされているのか、をみていきます。

水(すい)

古代中国では、自然界を構成するひとつとして五行に「水」を入れました。

時代は、例えば顕微鏡も、原子や分子といった化学知識もなかったわけですから、

当然、現代人の「水」に対するイメージとはだいぶ違ったものになります。

目に見えるもの、手で触れられるもの、自然を感じる気持ち、

素朴な感覚と、自然への畏怖の念、そのような視点から水をみていたはずです。

また、水と関係することなのであとで詳しくみていきますが、

生死についても、

救急医療もなく、生殖医療もなく、生き死にが今よりも相当身近に感じられ、

人の生き死にに対して人が出来ること、が今よりも相当に限られていた時代です。

自然界に存在する「水」は、

雨、川、海、湯気、朝露、金属などへの結露、

また、雪や氷も溶けて水になるので水が姿を変えた形、と見ていたはずです。

また、水たまりの水は、乾いてなくなってしまいます。

湯を沸かし続ければ水は湯気に全て変わってしまい、湯気は上へ登って見えなくなってしまいます。

このような認識から

固体↔液体↔気体

という、固体・液体・気体という言葉はなくとも、その変化、

つまり「水」の姿の変化は理解されていたはずです。

固体としての水は、氷や雪で、冷たく、見えるもの、触れば固いもの、動かないもの。

液体としての水は、見えるもの、触れられますが固くはなく、動く(流れる)もの。

気体としての水は、湯気こそ白く見えますがすぐに消えて見えなくなってしまうもの。湯気の温かい感触はありますが、すぐに消えてしまうので感触はあって無いようなものです。上に昇っていくので、熱と共に動く(上る)もの。

といった印象であったことでしょう。

また、色についても、

川の水は澄んだ透明、濁った水の様々な色、また染め物に使う染色用の水もあったでしょうし、

海の水はその深さから青黒く見えますし、

太陽の光に照らされてキラキラ光る輝きも持っています。

このように水は、形(姿)も、色も、輝きも変幻自在です。

雨が降り続けば土砂崩れや川の氾濫を引き起こし、

日照りが続けば、植物は育たず、収穫に影響があります。

川の氾濫は、水に地形を変えるほどの大きな力を感じ(災害としてみれば人の生命も時に左右する力)

一方で雨として降る水は、食物を育む、生命を育む(生み出す)力を持つものです。

また、水は、湧き水から川になり、海へつながるひとつらなりの「流れ」でもあります。

じっと静かに動かさなければ、水面は真っ平らになりますし、

風が吹けば、波立ちます。

石を投げ入れれば、波紋が生じます。

高いところから低いところへ、水は必ず流れていきます。

川に音があり、滝に音があり、波にも音があり、

土に染み込めば、土を柔らくする力もあり、

火に対しては、消す力もあります。

丸い器に入れれば丸くなり、

四角い器に入れれば四角くなります。

入れる器に合わせて自由自在に形が変わります。

水は、つかめるようで、つかんでみるとつかめない、

色があるようで色がない、

決まった形があるようで、決まった形がない、

そして、たくさんの役割や働きがある、不思議な存在だと

古代中国の人は感じたのかもしれません。

〜次回へ続きます〜